仙台市内にはケヤキや銀杏の木々が並木を色どり「杜の都」の雰囲気を色濃くしています。その 杜の都・仙台の歴史は1601年にまで都市計画(城下町整備)はさかのぼり、今から約400年前の伊達政宗の時代から街の計画ははじまったようです。政宗は,家臣たちに対して屋敷内には飢餓に備えて,栗・梅・柿などの実のなる木や竹を,また,隣との境に杉を植えるように奨めました。このようにして形成された屋敷林や社寺林のまちのみどりが周囲の青葉山などの丘陵地や広瀬川が一体となり,杜の都を形成していました。太平洋戦争の末期・昭和20年の仙台空襲により,屋敷林などのまちのみどりが失われてしまいます。この失われたみどりを取り戻そうと,昭和21年に戦災復興土地区画整理事業が計画され,都市公園の整備と,青葉通や定禅寺通のケヤキの街路樹植栽が実施されたようです。高度成長の乱開発もうまく「誘導」し、仙台市内の並木道は守られてきました。とくに関東に住む私にとっては「緑の植栽」は気持ちのいいものですが、それを守り育てる市民・行政の努力も合わせて感謝しなければならないと思います。「住みたい都市ランキング」でも常に上位に位置する仙台市はこれからも杜の都であってほしいと思います。
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