飯田市下久堅地区御柱祭に奉納される「木遣り歌」を聞く機会に恵まれました。ジャズやロックを聞く耳になっている私にとって、「木遣り歌」は新鮮で大変に美しい歌に聞こえました。写真は順番に「木遣り歌を披露してくれた斉藤氏」「今回の御柱に指定された木(見立て)」「五線譜に書きとめられた旋律」「(木遣り師達)歌のメモ」「木遣り歌の内容」です。南信州に位置する飯田地方の御柱祭の木遣歌は、元をたどれば「諏訪の御柱・木遣り歌」に通ずると考えられます。メロディを聴くと、日本民謡の旋律の動きとは異なります。そもそも諏訪の神は、出雲の神との関係が語られるほど、出雲との関係があるのは知られていますが、御柱祭と似たまつりがアジア大陸にもあるといいますので、この木遣りも案外大陸とのつながりも想像するほどロマンをかきたててくれます。
御柱祭で歌われる木遣りとは、木を曳くときに威勢よく歌われ、曳き手の気持を統一するような役割を果たしてきました。よく知られたものには《江戸木遣り》があります。ただ、諏訪の木遣りは、江戸木遣りとはかなりおもむきがちがいます。 この諏訪木遣りのついては名古屋大学文学部比較人文学の石川俊介氏の論文が解りやすく伝えていますのでその内容をかいつまんで紹介したいと思います。そもそも木遣り歌とは「神木や土木建築の用材を運ぶ作業の歌から石つき、地固め、綱起こし、火消し道具曳き、船卸しなど綱を引く諸作業(労働歌)から始まり祭礼で歌われる芸能(民謡)になっていったとされているようです。諏訪の木遣り歌は当初は「綱を曳くリズム」だったのかもしれませんが、現在は「祭りの合間」にうたわれることが多くなるにつれ「労働歌のテンポ」から「掛け声的な要素」と「労働歌のリズムに余興的な性格を帯びて見物人に聞かせる」という役割に変化していったということです。
諏訪地方の「木遣り歌のリズムや歌い方」は各地に広まるにつれ祭りの実情や木遣り師の世代交代で少しずつ「変化」が起きてるようであります。また近頃は「ラッパ隊」「鼓笛隊」などその変化のスピードは加速度的に変調しています。「ラッパ隊」のように近代の大音量の楽器や節回しで時代に合わせて変化していく流れがあります。ラッパ隊の動画をみますと「突撃ラッパ」や「戦時中の軍隊のラッパ」など戦後にとりいれられた様式もあり、「伝統と気品のある祭り」の行事も時代とともに変遷いくのがわかります。一方で木遣り歌の基本である「諏訪の木遣り歌」ですが、長年「諏訪の上社と下社では違う」と言われてきましたが、下社側の歌が上社側に徐々に近くなってきたと言われています。長年先輩から伝えられてきた「歌い方」を「伝統行事ゆえに元に戻し、祭礼の原点のもどす」というのは、変える側にとっては内部で相当に反発もあったかと想像します。しかし長い伝統祭礼を重んじる聡明な下社の木遣り師達により「祭礼の原点に戻そう」とするすばらしい行動があったのだと思います。木遣り歌の「よりどころ」を諏訪大社の御柱の祭りもとめれば「原点回帰」になるのだろうし、「地域で変化して行った流れ」を尊重するなら、変化した地域の村祭りになっていくことでしょう。長野県各地に伝わり歌い方が変化していった木遣り歌を、諏訪大社御柱祭に想いを馳せて原点に戻ろうとする「原点回帰型木遣り歌」も「少し変調した村祭り的木遣り歌」も「ラッパ隊や鼓笛隊のプロ野球応援型木遣り歌」も聞く側にとっては「聞き比べ」ができて楽しいかもしれません。
一二年に二回の祭りなので長野県に来た時にはぜひ「御柱祭と木遣り歌」を堪能してください。どこの祭りにいっても楽しいとおもいます。